監督 野中真理子





2001年につくった『こどもの時間』は、無認可のいなほ保育園という日本で唯一の場所の日常生活に存在する希望のドキュメンタリーでした。
今度は、日本中どこの町にもある公立小学校という、ごく普通の場所の日常生活に在る希望です。もちろん東京という地域性や、あるいは品川区という個性はあるかもしれません。それでも周辺に暮らす子どもであれば、特別な試験や特別な費用や親の特別な決心がなくても通うことのできる普通の学校です。今回わたしは、そんな普通の場所にある希望を映画にしたかったのです。

 撮影の申し入れをした教育委員会の担当者は「こんな普通の学校の普通の子どもたちに普通の教師が教える普通の授業を映画にして、観てくれる人がいるんでしょうか」と心配してくれました。それでもわたしの気持ちは揺らぎませんでした。何故なら今これを撮影しなくてはならない、という切迫した思いがあったからです。

 『こどもの時間』は全く予想もしなかったほど沢山の人が観てくださり、何千というご感想の言葉をいただきました。その言葉を読み、聞くことで、わたしは日本中の子どもたちが毎日どれほど時間泥棒にかけがえのない時間を奪われているかを思い知りました。時間泥棒は学歴主義をふりかざしたり、効率の重要性を説いたりしながら、強引に巧みに、子どもの自由を泥棒達のヤクニタツモノに化学変化させているのです。その事実は心に突き刺さりました。

 そんな頃『こどもの時間』を観てくださった東京の図工の先生たちから「次年度(2002年度)から新学習指導要領と完全5日制が導入されることにともない、図工の時間も大幅に削られる。子どもたちが大好きな図工の時間が次第に失われていくことに危機感を持っている。図工室にも、子どもが自由に自分を表現するこどもの時間があります。近々、作品展があるので来ませんか」というお誘いをいただきました。小学生の作品展と聞いたときは、自分の由々しき小学生時代や、その頃描いていた自分のつまらない絵を想像して行く気にはなれませんでした。けれども図工の先生たちのお話が印象深く、ともかく子どもの好きな時間が減っていくことも気になって、ちょっと立ち寄ってみたのです。

 東京都図画工作研究会の先生たちが年一回ひらく『図工だいすき展』その会場に入るなり衝撃を受けました。そこは子どもたちの姿はないのに、彼らの喜びのエネルギーが渦巻いていました。オリジナリティーの多様さは「ここはMOMA?」と思うほど。第三者であるわたしにも、作者が何を表現したいのかという思いが伝わってくる完成度の高さ。われを忘れて一点一点見入ってしまいました。こういう楽しい時間が、東京の普通の公立小学校や公立の養護学校にあるんだ。これをつくっているときの子どもたちはとても満たされているなあ。そう思うと彼らに会いたい気持ちでいっぱいになりました。だって彼らは特別の美術学校の生徒ではないんです。かつてのわたしともわたしの息子とも同じ、それからあの言葉を送ってくれた多くの人たちやその子どもともおそらく同じであろう公立小学校に通う普通の子どもたちなんですもの。そこに希望があるのなら見澄ましたい、そこから出発したい、とこれはもう自分の使命であるかのように決心したのです。

 都心からおよそ50キロ北の町に住んでいるわたしにとって、東京の小学生は距離的にも精神的にも遠い存在で、およそクールな人たちかと思っていました。けれども足かけ2年間撮影しつづけて、彼らもまた、生きる喜びを素直に求める人たちであることがわかり、今では愛おしくてたまりません。この気持ちの変化が、わたしににとって一番の宝物です。  そしてこの映画の製作にはプロデューサーも特定の制作会社やスポンサーも制作助手もありません。誰かにおやりなさいと言われたものではなく、ひとえにわたしがこういうものをつくりたくてつくりました。そしてわたしと撮影の夏海光造さんと音響の米山靖さんの3人で知恵を出し合い、資金をやりくりして、大洋を笹船で航海するような心細さで船出しました。度重なる悪天候にも合いましたが、多くの友人知人の頼もしい応援と協力に支えられてなんとか完成、そして公開までこぎつけました。この製作過程もまた、かけがえのない宝物です。

 映画のメッセージは、奇しくも大貫妙子さんが書き表してくれたとおり、かたちのないところから自分だけのかたちをつくろうと夢中になる素敵さ、そこでしか誕生しない自由という力の大きさです。そうやって夢中になっている子どもたちの背中には、何ものにも捕まらぬ勢いで飛ぶことのできる、光の羽がはえていました。そんな子どもたちが奏でるトントンでギコギコな図工の時間です。あなたの心にはどのように響くでしょうか。どうぞご感想をお寄せください。